京料理 感 <銀座>
- カテゴリー:2.極上の料理店
私は、卒業して20年が過ぎた今でも大学時代の友人と時折食事をする。彼らはもちろん会社の将来を担う中間管理職としてバリバリ仕事をし、よき家庭人でもあるが、外食の愉しみも十分に心得る真の大人なのだと思う。
そんな20年来の友のひとりが、銀座にすばらしい日本料理の店があることをメールで教えてくれた。彼のメールはいつもあっさりしていて、店名、つまり「京料理 感」と住所、電話番号が書いてあるだけだったので、京都の料理と「感」という一文字の名前が自分の中で結びつかず、彼の推薦といいつつ、しばらく足が向かなかった。
そんなある日、お昼時に銀座を歩いていて、暑い最中の昼間にもかかわらず、雑虚ビルの階段の前で深々と頭を下げてお客様を見送っておられる板前さんの姿に気付く。
「うーん、こちらはどこのお店だろう・・・」
和食店的な名前の看板が並ぶ中で、私の目に飛び込んできた「感」の力強い一文字。
「なるほど、友人が教えてくれたお店はここなのか」
さっそくそのまま階段を上がって、「京料理 感」にてお昼の2,500円の松花堂弁当をいただき、すばらしさを実感。そして今回、改めて夜の訪問となったのである。
場所は銀座通りと昭和通りの間。松坂屋の裏手あたりだろうか。ごく普通の飲食店が肩を寄せ合う銀座では当たり前の風情。

そんなビルの階段を上がった2階の奥に、「京料理 感」の入口がある。そこに至るまでのアプローチはあんまりなのだが、いったん戸を引き中に入ると、それを意識してか、ダイニングに入るまでにワンクッションを設け、続いてテーブル2卓とカウンターの空間が広がる。反対側には座敷もあるようだ。
ストン、みたいな感じでカウンターの席に落着く。
見渡しても無駄なものはない、だけど「無」というほどではない。清潔で整然としているが、等間隔で包丁が並べてあるとか、そんな堅苦しさは見えない。
料理店としてあまりにも素直すぎる佇まいなのだ。人工的な和も下世話な京都もいらない。美味しいものを、心地よく、お腹一杯食べるために、必要なものだけが揃っている、ちょうどそんな表現が適切だろうか。
若い板前さんから、おしぼりを渡され飲み物のオーダーを聞かれる。その笑顔がとても好印象。こういった日本料理店では若い板さんの顔がこわばっている場合が多く、いつも残念に思っていた。ところが「京料理 感」での彼の笑顔は、私お店に入って最初に触れた素直さとイメージが重なった。
先付に続いて出されるトロと牛肉のにぎり。小ぶりの一口サイズをほおばると、いっぱいに広がるやさしい食感が楽しい時のスタートを告げる。
この日は季節最後のハモづくし。にこごり、汁、お刺身、柳川風の鍋と続く。最後の炊き込み御飯まで行き着くと相当のボリュームで満足度は頂点に。低価格を売り物にする和食店も数多くあるが、それは単純に料理の品数や量が少ないだけのこと。良質の素材をここまでたっぷりと味わせていただけるコストパフォーマンスには脱帽だ。
お酒の種類も奇をてらわないオーソドックスなもの。居酒屋ではないのだから、料理の邪魔をしない良質のお酒が最低限そろえてあればそれで十分。メニューに価格が書かれていないが、勘定の際にはあまりに低い価格設定に驚くことだろう。
ご主人はこの道30年。小僧のころからも合わせるとお客様は実に三代に渡るという。ここまで崇高な料理を形作りながら、あまりにも京料理人せず存在感の自然さは不思議なぐらいだ。「京料理 感」になら、子供や孫を連れてきたい、いや、このご主人に預けてみたいと考えるのも納得できよう。
お支払いの際、サービス料等の計上は一切なし。
明快な勘定書きに敬服し、カードでのお支払いを予定していたが思わず現金を手渡した。
そして私が以前垣間見た通り、ご主人と女将さんが1階まで降り、そこで静かに見送ってくださるのだった。
さて、なぜこちらのご主人は、店名を「京料理 感」にしたのだろう。原稿をまとめながら、ふと、その質問を忘れていた事に思い至る。

普段そういった興味深いことは、失礼にならない程度に質すほうなのだが、今回はまったく聞きそびれてしまった。ご主人のお名刺をいただいたが、お名前の中にも感の文字はない。
それは、ご主人の立ち振る舞いに気を張るところがなく、ゆったりと過ぎる時間に身を任せるのが心地よくて、お店の名前の意味などはすっかり意識の外だった(取材者としては全くの失格ですが)ようにも思う。
そもそも、「感」という言葉の持つ意味自体が、意識してとか、こだわってとか、何か理由をつけてなどといった理屈とは対極にあるのだから。
◆京料理 感 <銀座>◆
東京都中央区銀座6-12-15 西山ビル2階 03-3575-0888
ご予算:12,000円~/一人




